氷上のデブ

思いついた、試した、いつまで続くか分からない。

【本文サンプル】『汀の二人』(『純愛ギャロップ』書き下ろし短編)

 本部の入口からフードコートまでの廊下に、以前は広場があったが、先日そこに雑貨のみを扱う売店がオープンした。
 一見すると京都の土産物屋のような雰囲気がある。和風の雑貨ばかり置いているわけではないが、前口にそれを並べてあるのでそう見える。さほど奥行きのある店舗ではないが、奥の壁沿いと、そこに垂直に配置されたいくつかの棚に様々な雑貨が並べられている。
 冨岡義勇は、前口に並べられた和雑貨の中から小さな箪笥のような小物入れを手に取り、眺めていた。さわやかな若草色と水色に染められた布が張ってある。小さな引き出しをさっと出してみる。
「あっ」力が強すぎたか、引き出しは抜けきってしまい、義勇の手からぽろりと落ちた。
 そこへ、
「冨岡君、土産かな?」継国縁壱が通りかかり、声をかけてきた。フードコートから出てきて出口へ向かうところだったようだ。
「そんなところだ」言いながら義勇は引き出しを元に戻そうとする。きっちりはまりすぎる引き出しは、なかなか入ろうとしない。縁壱が横から手を出し、ひょいと小物入れを取った。
「こういうのは少しばかり力を入れた方が――あっ」力を入れ過ぎたか、引き出しは側面が外れてしまった。
 二人とも、しばらく無言で壊れた小物入れを見ていた。
「これはちょうどいい」勢いよく頷く縁壱。義勇は眉根を寄せて彼を見た。「私はちょうどこのような小物入れが欲しかった所なのだ」
「引き出しが壊れているが」
「このような、感じが、いいのだ」縁壱は小物入れをくるくる回して見せる。つっこんでおいた壊れた引き出しがまた落ちる。二人とも、刺すような店主の視線を感じた。
「大丈夫です、私、これ買いますので」縁壱は店主に笑顔を見せた。それから義勇に向き直り
「冨岡君はこれを買うつもりではなかったんだろう?」と尋ねる。義勇は頷いた。「大切な人への土産選びかな。これは邪魔を――」
「いや、ちょっと知恵を借りたい」義勇は縁壱の袖をぎゅっと握った。縁壱は少し驚いたような顔で義勇を見た。
「実は、不死川が」義勇は言葉を切った。縁壱は柔らかい表情で続きを待つ。義勇は小さくため息をついた。「やっぱり縁壱さんでないと相談できないな。誰にも言えず、少し困っていた」
「どうしたのだ? 不死川君とけんかでも?」
「いや、そうじゃない。実は、昨日の夜……というより今朝というか、夜明け頃目を覚ましたんだ」義勇は聞いているかを確認するように、縁壱がうなずくのを見守った。「そうしたら、不死川が起きていて、泣いていたんだ」
「なぜ?」
 義勇はかぶりを振った。「分からない」
「今朝、彼は元気にしていたな」
「そうだが、仕事中に暗い顔もできないだろう? 多分、押し殺しているのだと思う、泣きたい気持ちを」
「なるほど、それで元気づけようと、ミニ箪笥を壊した訳だね」
「……ミニ箪笥を壊したのは縁壱さんだろう。いや、それはどうでもいいんだ。俺は色々と、不死川に怒られてきたから、いざ元気づけるのにぴったりなものを考えると分からなくなる」
「そのような事柄に正解、不正解はないと思うぞ」
「人の事だとそう言えるだろう。今はミスを犯したくないんだ。元気づけるはずが逆になっては困るから」
 縁壱は壊れた小物入れの引き出しを高速で出したり入れたりしながらしばし黙っていた。そして手を止める。
「ひと月ほど前、鬼舞辻の所へ遊びにいったんだが、鬼舞辻も同じ事を言っていた」
「無惨が?」
「前世から合わせて友達ができたことがないから、私が遊びにくるのに何を用意するべきか相当悩んだらしい。菓子だの飲み物だの。私は別に飲み食いしにいく訳でもないのに」
「しかし俺には無惨の気持ちが今は分かるぞ」
「冨岡君、気持ちと気持ちの間には、きっちりした線が引かれている事もないだろう。波打ち際をゆらゆらして、どちらが前に出るか後になるか、いつも違っている。だから、適当でいいのでは? 冨岡君が元気づけようとした事だけがはっきり見えるものだと思えばいいし、不死川君はきっとそれを見るだろう」
 義勇は唸った。
「そうやって適当に、俺だけの気持ちで考えるとおはぎになってしまうんだが」
「本部のおはぎは誰もが喜ぶ土産だ。こんな壊れたミニ箪笥よりずっといい」言ってから店主の視線を再び感じ、「これ、いただきます」と縁壱は壊れた小物入れを持ってレジへ行った。

 

 不死川実弥はぽっかりと口を開けて「最愛の人」を見上げた。ばら組の部屋は昼になって急に気温が上がり、彼は額に汗をかいている。