氷上のデブ

思いついた、試した、いつまで続くか分からない。

しばしばやらねば、チューンナップ

今日はまだ布団の中にいるが、まぁまぁ正気だ(しばしば正気を失うのかお主!?)。

夜に期待したい。

と、昨日も夕方布団の中で思ってたけど昨日は妙に早く寝てしまった。

しかししかし、めげない、今日も夜に期待だ。

本題だが。

さっきベッドサイドテーブルの上に置いてある自分の本をパラパラみていた。組版を見ようと思ったのだが、ちょろりと本文を読んだりもした。

この本は『きょうのばらたち』シリーズで、初めて書いた鬼滅の二次創作小説から続いたシリーズだ。

その後学パロシリーズを展開し、今もそれを中心に書いているが、先程ばら組シリーズの最後の作品『純愛ギャロップ』をちょろちょろと読んでいた。

なんか、雰囲気が違うなという感じ。

すごくのんびりしているというか、呑気というか、作者は私だが、作者が子供や友達にきかせるため作った即興おとぎ話のような、そういう心地よい軽さがあるなと思った。

またも、私は創作に対するスタンスが少しずつ狂ってきてたんだなと気付かされた。

点検に出してた車が戻ってきた時、ステアリングやペダル、サイドブレーキなんかが新鮮な感じになってるのと似た感覚なのかな。あ、だいぶ緩んで?いたんだなーみたいなね。

創作をするに当たって、自分が作ったものを公の空間へ投げる時、どんな放物線を描いてどの方向へ飛ばしたいのか。

それは人それぞれだけど、自分のスタイルというものをなぜだか自分以外の要素によって狂わされていく。

私自身の創作は、内を向いて自分の中心を睨みながらするものだと私は思っているから、そういう歪み方をすると苦しくなってくるのは当然で、虚しくなって、こんなものやめてしまいたいと感じてくるのも当然だ。

幸いいつも、今のように過去の自分の作品によって目を覚ます。

同じようなものを書かねばならないという事ではなく、創作に向かう時の装備を自分スタイルに整え直してまた机に向かいたいという事だ。

二次創作といえど、作品を作るのにあまり大人になっていたくはない。もっと無邪気に、バットを振りたい。空振りしてもファウルでも。