氷上のデブ

思いついた、試した、いつまで続くか分からない。

とっかかりを探せば海が見える

 ブログをだいぶんサボっていた。体調のよい時も悪い時も、サボっていた。長きにわたっておつきあい頂いている方にとってはいつもの事と思われるであろうが、私にとってもいつもの事だ(?)。
 冬はたいてい体調が悪いものだけれども、今年もまた大変な季節がやってきたなぁというのが正直な気持ち。私の持病は精神疾患であるので気持ちが落ち込んだり妄想じみた事についてぐるぐる思考に陥ったり、半分死んだようになっているわりに脳みそはてんやわんやだ。
 そんな中、そういう大騒ぎをしずめるというか、やわらげるというか、まぁ気を紛らわせてくれるというのが一番しっくりくるのか、そういうものがある。
 ツムツムというゲームの事はこれまでもよく書いた。これもいまだによくやっている。
 それからテラリア。これは時間をとりすぎるのであまりやっていないが気を紛らわせるのにはとてもよい。
 後、この頃一番よくやっているのが編み物と数独だ。
 数独は、私が学生だったか社会人になった頃だったかそのあたりに『二コリ』というペンシルパズル雑誌と出会った頃からのお付き合い。ある時この数独が世界に広まって、海外で「SUDOKU」と呼ばれていると知って驚いた事がある。
 それくらいハマるパズルだ。「ナンバープレイス」「ナンプレ」と呼ばれている事もあるね。とにかくハマる。勿論、向き不向きあるけど。
 ある時にはiPhoneのアプリでやっていた事もあるんだけど、この頃は本屋さんで数独本を買って来て鉛筆と消しゴムでもって取り組んでいる。どうやら鉛筆で書く事と消しゴムで消す事、この両方がちょっとドーパミンを出すみたい。
 それはさておき、数独もだいぶやってきたので、この頃はちょっと難し目のやつに挑戦している。二コリの本で、ハードの「H」マークがついているようなやつなんかにもチャレンジする。
 そんな難しいやつを解いていると、鉛筆がぴたりと止まってしまう事がある。二、三時間全く進まないとか、そうやって夜が更けてしまったから明日に持ち越すとか、そういうような。「二進も三進もいかぬ」という状態になる。何時間か考えて、どっか間違ってるから進まなくなってしまうんじゃないかなんて疑いをもって、まぁ、消す事も好きだから解いたところ全部消してしまって最初からやったりなんかして。
 そんな風に止まってしまう事も多々あるけれど、最後には解ける。パズルだからね。
 で、ほとんどの場合、とっても小さな、初歩的な、シンプルな、そういう手掛かりの見落としが、進まなくなってしまった原因だ。ほんと、いつも「ああ、なんでコレ見落としていたかなぁ」ってなる。
 それでね、そんな小さな事を見つけて、1つのマスに数字を入れたらそこから一気にぶわーって波紋みたいにマスが埋まっていって、最後まで解ける。
 紙の盤面見てやってるとそのぶわーっと解ける、融けるみたいな解け方するのをより体感できる気がするんだけど、ま、その時ふと思うんよ。
 これ、人生みたいやなーって。
 この頃このフレーズ、えすえぬえすなんかでもよく言ってしまってるかもだけど、そういうお年頃なのでご容赦いただきたい(ぺこり)。
 でもね、こういう事をブログに書こうって思ってネタを整理していた時に気づいた。
 この小さなとっかかりをみつけたらぶわーって物事が進むみたいな事そのものが大事なわけじゃないんじゃないかって。
 それよりも、その小さなとっかかりを見つけるっていう事、それがある事や、その存在を見つけるっていう事がめちゃめちゃ大事なんじゃないかって。
 こう書くと、そりゃ見つけた先に進展するって事があるんだから見つける事が大事なのは当たり前やんって思うけど。
 でもでも、そうじゃないんよ。そういう、半分に割ったピーナッツの片割れにある突起みたいなものが、かならずやあるはずだ! それを見つけられないから進まないんだ! と、こう、それをわかってるのと、ただ「進まねぇ~」ってもがいてるのとでは全然違うっていう、それが言いたかった。
 相変わらず長いな、私の文章は!
 ま、ネタ帳見たら、テーマ的な事として「小さなとっかかりに気づくという事の大切さ」という風にメモしてあるけど、今ここまで書いたらそれもちょっとズレてるなと思う。「気づく事」じゃなくて、「それがあるって信じて探す事」が大切なんだよね。うんうん。
 というわけで、この頃ちょっと数独が上達した気がする(?)。
 編み物の話はまたの機会にね!