氷上のデブ

思いついた、試した、いつまで続くか分からない。

縁壱さん

 今日もいつもの庭は穏やかな光に包まれ、春らしい雰囲気にあふれている。
 ばらの妖精たち三人、リーダーの伊黒小芭内と仲間の不死川実弥、冨岡義勇は、朝から担当のバラの周りを飛び回ってかいがいしく世話を焼いていた。皆気分もよく、ケンカもせずに済んだので、正午前には仕事を終えて花壇を縁取る石に座り、休憩を取ることができた。
 彼らは家や施設などの庭に人間が植え、頑張って世話をしている植物を守る、植物ガーディアン組織の一員である。人間だけに任せておいてまともに育つ植物など無いし、悪い妖精がわざと枯らしにかかる事もあるから、
「仕方がないね、守ってあげよう」
と、ガーディアンズの頭領、産屋敷耀哉が信頼できる妖精たちを集めた。彼は妖精たちから尊敬され、心から頼りにされている。皆、産屋敷耀哉の事を「御館様」と呼ぶ。
 前世で彼らが鬼殺隊として鬼を全滅させるために、命をかけて信念に燃える刀をふるって活躍した事は、読者諸君の間では有名な話であろう。その頃彼らが「御館様」からの指令を受け取ったり互いに連絡を取り合ったりする時に使ったのは「鎹鴉」と呼ばれる烏であった。
 今世ではどうか。
 今世の彼ら、植物ガーディアンズが「鎹鴉」と同じように使っているのは「鎹カナブン」である。烏がカナブンに変わっただけの事で、役目は同じだ。カナブンはあの頃の烏と同じように健気にガーディアンズに尽くしてくれている。
「あ、カナブン」
 おやつのおはぎを食べながら実弥が呟いた。彼らのいる庭を横切って、二匹のカナブンが飛んでいく。特殊な能力を身に付けている産屋敷カナブンは、真冬でも平気で飛んでいる上、寿命が長い。実弥が目で追うカナブンを、他の二人も一緒に目で追った。二匹のカナブンは庭を出て、片方は東の方角へ飛んでいき、もう片方は北西の方へ向かって進み、直ぐに家の陰へ入り見えなくなった。あまりものを食べない小芭内が、めずらしく干菓子をつまみながら
「あれはキャンプ場と小学校へ行ったな」と言った。水筒から麦茶を飲んでいた義勇は一息つき、頷いた。実弥が
「ってーと、一コは甘露寺の桜組、もう一コは悲鳴嶼さんの桜組か」と言った。
 甘露寺蜜璃は近くのキャンプ場周辺の公園にたくさん植わる桜を守っている。部下の妖精も大勢おり、忙しい時にはばらトリオも手伝いに行く。悲鳴嶼行冥は、ばらトリオのいる庭のすぐ近くにある小学校に植えられている桜の担当だ。
「カナブンはなんかコンパクトでいいよなァ」実弥がぼやく。
「コンパクトと言う程コンパクトでもないだろう」小芭内は眉根を寄せた。大人の妖精は身長が平均五センチくらいだ。鎹カナブンは厚みが小芭内の膝下ほどあり、縦になると腰の高さを越える。彼は職務につきたてのカナブンにぶつかられ、その下敷きになってしまった事を思い出したのだろう。
「烏もかわいかったけど、カナブンもかわいいと思う」義勇が言った。彼のおやつはきな粉のおはぎだ。
「俺たちの鎹ナントカもカナブンだったはずだよなァ」
 実弥の言葉に後の二人は頷いた。実弥は続ける。
「なんだって俺らのだけ縁壱さん」
 三人はしばらく黙っておやつを食べながら庭を眺めた。
 彼らの元へ指令を運んでくるのはどの植物担当でもない妖精、継国縁壱だった。
「彼が君たちばらトリオの鎹縁壱だよ」
 にっこり笑って縁壱を紹介してきた「御館様」の顔を、三人は今も鮮明に思い出せる。産屋敷耀哉は「鎹縁壱」とよどみなく言ったが、三人は継国縁壱を前にしてまさか「鎹縁壱」と呼ぶ訳にいかず、「縁壱さん」と呼んでいる。縁壱の仕事ぶりに難がある訳ではないが、カナブンが飛び交う中自分たちの所へだけ縁壱が飛んでくる事を、周りは何と思っているのだろうとばらトリオは始め気になっていた。
「今となっては慣れたがな」
 小芭内が言った。「御館様」に「鎹縁壱」を紹介された時の事を思い出し、義勇は少し笑って
「あの時はみんな言葉を失ったな」と言った。
「お前はいつもほぼ無言だろうが」実弥も笑う。
 そこへ(作者の)都合よく「鎹縁壱」が片手に風呂敷包みを下げて飛んできた。彼は「髪型と合わないから和服がいいよ」と産屋敷耀哉に勧められたので、常に和服を着ている。なるほど日本人形のようなたたずまいはイカしていると、実弥はいつも思う。
「支給の下着を持ってきた」
 縁壱はトリオが座る石の上に着地し、包みを置いた。衣服は植物ガーディアンズ本部に注文すると届けてくれる。先日実弥が注文した下着のシャツ三枚と、三人の靴下二足ずつが、包みの中に入っていた。
「なァ縁壱さんよ」
 実弥の呼びかけに、縁壱はそのまま腰を下ろした。
「さっき初めて会った時の事を思い出したんだけどよォ」
 縁壱は頷きながら聞いている。義勇に輪をかけて無口な妖精だ。
「俺らマジで度肝抜かれたんだ。カナブンじゃねェし、縁壱さん」
「あなたはこの世界最強の妖精だと聞いている」小芭内が口を挟む。「そんな人がなぜカナブンと同じ仕事に甘んじているのか、勿体ないのではないか、そんな風に俺たちは思うんだが」
 彼は水筒の麦茶をふたに入れて縁壱に渡した。麦茶を飲んでから
「暑くなってきた」と縁壱は言った。それから
「私はこの仕事が好きだ。面白い。カナブンもそうだろう」と続ける。そして庭を眺めた。時々カナブンが通る。ガーディアンの妖精同士、人員の工面をするためによくカナブンを飛ばす。春は忙しい。
 しばらく沈黙が続いた。近く、そして遠くで人間が立てる音が聞こえる。住宅地の向こうには山。神の住む山だと、妖精たちは「御館様」から聞かされている。ゆるやかな風が吹き、四人の髪をなでて揺らした。今日は四人ともガーディアン用ヘルメットをかぶっていない。
「私がここへ来た時、担当の植物が見つからなかった」縁壱が再び口を開いた。
「相性ってやつがあるからなァ。あんたオーラが強すぎるんだろう」実弥がぼそりと言った。
「しかし」と言って、縁壱は言葉を切る。そして笑みを見せて続けた。
「私に合う植物が見つかったとしても、君たちの『鎹縁壱』はやめないつもりだ」
「面白いからか?」小芭内の問いに縁壱はしっかり頷いた。
 ばらの妖精三人は心をくすぐられるような心地になった。そして、自分たちも「鎹縁壱」抜きでバラを、庭を、みんなの植物を守り切る事は出来ないと気づいた。彼は、鬼妖精鬼舞辻無惨が血鬼術で操るスズメバチから妖精たちを守ってくれるし、ばらトリオ以外の妖精でも困っている所を見かければ放っておかない。
 しかしつい最近の事だが、縁壱が寄せ植えのシクラメンに長い髪をからませてしまうという事があった。力の強い縁壱はシクラメンの茎を数本折ってしまい、寄せ植えガーディアンの栗花落カナヲを泣かせてしまう事になった。しかし縁壱はどうなぐさめればよいか分からず途方に暮れてしまう。バラ花壇はすぐそばだったので、義勇が泣いているカナヲと固まっている縁壱を見つけ、とりあえず母屋から拝借してきた接着剤でシクラメンをもとの形に戻した。「母屋」とは、妖精たちの住むイナバ物置を「離れ」と仮定しての「母屋」で、人間が住む家を指す。植物ガーディアンズの「業界用語」とも言えよう。
 さて、義勇はシクラメンに接着剤を使った事で更にカナヲの悲しみを膨らませてしまった。彼女は感情的になり、泣きながら「バカ」と叫んで義勇の腹に拳を突き込んだ。よろめいて鉢の縁から落ちそうになった義勇は、縁壱に抱きかかえられる。妖精とはいえ、大の男が二人抱き合いながら泣きじゃくる少女を呆然と見るさまはあまり思い出したくない光景だ。
 結局シクラメンは、縁壱が呼んできた小芭内によって傷んだ茎を根元からカットされた。数本だったので、母屋のばばあには気づかれないと、ばらトリオが保証し、カナヲの気持ちは収まった。
 三人は、縁壱にも苦手な事があると分かってなぜかうれしかった。自分たちが助けられる所がある方がバランスがよい。
「そんな事あったな」
言って、小芭内がクスリと笑った。みんな小芭内を見る。義勇が片方の眉をクイと上げた。「そんな事」とは?というところか。
「『シクラメン事件』だ」小芭内の言葉に、義勇と実弥は「ああ」と言って微笑んだ。縁壱だけが真顔だ。
「あの時最後には栗花落も笑ってたなァ、冨岡の接着剤に時間差でウケてよォ」と実弥。
「ナイスアイディアだと思ったんだが」
「なにが『ナイス』だよ!」
 実弥が義勇の頭を軽くはたき、小芭内は「まったく」と言いながら腕組みをした。その横で縁壱が突然笑い出した。驚くばらトリオに「すまぬ」と謝り、目を細めて口元に笑みを残したまま
「後日私は胡蝶姉妹に髪をまとめられてな」と言った。
 ばらトリオは「えっ」と縁壱を見た。初めて聞く話だが、無口な縁壱が訊かれもしないのに体験談を話す事もないのは当たり前だ。実弥が続きを促す。
「この髪が、邪魔すぎると」縁壱が高い位置で結った自分の長い髪を少し引っ張る。くせのある多い髪はとても長く、確かに束ねただけでは邪魔になる事もあるだろう。
「で、まとめろと」と小芭内。縁壱は頷く。
「胡蝶姉妹が出張って来たのかよ」実弥は目をむく。胡蝶姉妹のカナエとしのぶはホームセンターのイナバ物置に住んでいる。しのぶはここで植物を守る事に関する様々な研究をしているのだ。もちろんたくさんの部下を従え、ホームセンターの商品である植物を守ってもいる。このホームセンターはばらトリオのいる家からはかなり離れた所にある。
「私には何をどうしたかよく分からないが、とにかく髪をこう……」縁壱は両手を頭の上に上げ、わさわさと動かした。「まとめて、まとめて……つまり、まとめて?」首を傾げる。
「あ、団子?」実弥がピンときて助け船を出した。「丸くボールみたいにまとめるやつだろ」
「それだな」と小芭内。義勇は二度頷いて同意する。
「そのつもりだったのかもしれん」縁壱は言った。
 彼が語るには、胡蝶姉妹は安全のため、縁壱の髪を実弥の言う「お団子」にまとめるつもりであったのだが、縁壱の髪が長すぎ、更に多すぎたため、団子のレベルを超えてしまったらしい。
「どんなよ。見てェなそれェ」実弥が小刻みに足を揺らした。
「あの時……宇髄天元がいて、写真を撮ったな」縁壱は思い出して言った。
 宇髄天元は、ばらトリオのいる庭と同じ庭に植わっているシャクヤクの担当ガーディアンだ。明るくいたずら好きな上、美丈夫でモテるが嫌味が無く、人気者だ。面白そうな出来事に対する嗅覚が鋭く、その時も胡蝶姉妹がやって来た時点で何か起こる予感がしていたのだろう。
 実弥は直ぐにスマートフォンで天元に連絡を取り、その時の写真を送らせた。
 話は逸れるが、スマートフォンがあるのに、ガーディアンズがなぜ鎹カナブンを使うのか疑問に思われるかもしれない。しかしそれは情報の安全を万全にするためであり、ひとつには「伝統」という事も産屋敷耀哉は意識しているらしい。ガーディアンたちは仕事上の連絡にスマートフォンを使う事を禁じられている。鬼妖精鬼舞辻無惨には、いくら警戒してもしすぎる事はないのだ。
 実弥のスマートフォンがメールの着信音を発し、実弥はメールを開いた。写真が添付されている。
「ブフォッ!」写真を開いた実弥が吹き出した。
「なに、見せろ」小芭内が実弥のスマートフォンを奪い取り、義勇と一緒にのぞき込む。
「おお……これは……」
 写真の中の縁壱は、頭頂に団子規格を越えた団子をこしらえられており、頭にオブジェを載せている怪しい妖精のように見えた。天元に要求されたのであろう笑みは、困惑のためかとても固い。実弥は石の上に倒れ込んで笑っている。
「なんだかアレみたいだな、酒屋の軒先につるしてあるアレ。杉玉」小芭内が言うと、義勇は
「俺はアレのように見える」ぼそりと言う。
「アレとは何だ」嫌な予感しかしないと思いながら小芭内が訊いた。
「アレ、ほら……そう、スカラベとかいう虫が転がしてるウン――」
 みなまで言わせず、小芭内が義勇の口を手の甲ではたいた。義勇は目に涙をにじませながら口を押える。
 そんな三人を見て縁壱は微笑んだ。ウケてもらえて大満足のようだ。
 しばらくして大笑いから立ち直った実弥が起き上がり、四人でまた庭を眺めた。少し、前世の事を思い出す。縁壱は今世でまだ兄の継国巌勝に出会っておらず、どうしているだろうと呟いた。
 そうして四人がのどかなひと時を過ごしていると、どこかへ行っていたカナヲが寄せ植えの所へ戻ってきた。四人に気付いて会釈をする。シクラメン事件の傷はすっかり癒えたようだ。そもそも彼女は小さなことでくよくよするタイプでもない。
 寄せ植えのあるポーチから視線を巡らせシャクヤクを見ると、そこでは宇髄天元が蕾の上にいるアリと話し込んでいる。何やら交渉しているようだ。
 まだ仕事を残している縁壱が、本部へ戻るべく立ち上がった。
「何か報告はあるだろうか?」
 ばらの妖精トリオは揃って首を横に振った。今のところ報告は無し。
「縁壱さん、気を付けてなァ」と実弥。小芭内は
「戻ってきたら一緒に湯屋へ行かないか」と誘う。縁壱は頷いた。そして、飛び去る。義勇は後をついて少し飛び、自分たちの「鎹縁壱」が他の家々の陰に入って見えなくなるまで黙って見送った。

【完】

 

次作:らせんしんどろーむ
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