氷上のデブ

思いついた、試した、いつまで続くか分からない。

はじめてのクリスマス

 伊黒小芭内にとってのクリスマスは「どうでもいい行事」であった。
 高校生にもなってクリスマスなど――というのは、それまで家族などとクリスマスを楽しく過ごしてきた者が思う事なのだろうが。
 小芭内はサンタクロースを信じた事がなかった。
 よりちもそういう事を言っていたな。うっすら雪の積もった歩道に大きな足跡を残しながら少し先を歩く継国縁壱の背中を見る。ふわりふわりと名残のように降るまばらな雪が、彼の赤みを帯びた髪に着地するようで、その前に消えてしまっているようで、小芭内は目を細めた。
 二人は寮から歩いて十分ほどの所にあるコンビニエンスストアへ向かっている。
 今日は寮の仲間内でクリスマスのお茶会をする予定だ。その時に出すクリスマスケーキを、縁壱が作ろうとして失敗してしまった。パンケーキを焼いてホイップを載せればよいと皆言ったのだが、縁壱は「丁度いいからいぐちーと一緒に買いに行く」と言って、小芭内を連れて寮を出た。何が「丁度いい」のか皆分からなかったが、「よりちの言う事だから」と深く気に留めず、小芭内はついていってやることにした。
 生まれてすぐ捨てられ養護施設で育った小芭内に、「金持ちの家の子が皆幸せに暮らしている訳ではない」という事を教えたのは継国兄弟だった。縁壱も、「本当のクリスマス」を知らない。
 そんな二人だが、いつも冷めた目で周りを見ている自分に比べて、縁壱は天真爛漫で幼いと小芭内は思っていた。小芭内は小柄で縁壱は長身であるから、なんだかクロスしているなと思い、知らず知らず胸の前で腕を交差させる。
「あっ」
 見ている内、縁壱が路肩で足を滑らせ、田んぼに転落した。駆け寄ろうとして小芭内も足を滑らせたが、すんでのところでバランスをとる。ペンギンスタイルでなるだけ早く縁壱の所まで行った。
「大丈夫か、よりち。何をやっているんだ」
「ごめん、少しの踊りが……」縁壱はあぜ道から小さな坂を作ってある場所まで行き、道に戻った。黒いコートのあちこちに雪がつかんでいた土や枯草が付いている。小芭内は眉をしかめ、汚れを払ってやった。
 やはり同い年とは思えない。

 二人はコンビニエンスストアでケーキを買った。大きなものは予約せずに買えなかったので、普段からケースに並んでいるようなショートケーキを幾つか買った。実弥のための和菓子も忘れずに。
「俺が持つ」縁壱は買ったものを入れた小芭内のエコバッグを、彼の手から取った。
「転んだら大惨事だぞよりち」
「大丈夫。二度と転ばない」
「いや、『二度と』じゃなくてもいい、帰るまで転ばなきゃそれでいい」
 縁壱は小芭内の顔を見てにんまり笑った。継国兄弟は双子で、兄の巌勝は弟と同い年であるが、彼の事をやたら心配し溺愛している。そんな巌勝の気持ちが、小芭内は少し分かる気がした。

 田んぼの中の家を一軒通り過ぎれば寮はすぐそこという所に来て、縁壱が立ち止まった。小芭内は少し遅れて気付き、振り返る。
「どうしたよりち。おしっこか」
「そんなのないよ」縁壱は小芭内の顔を見る。笑っているかと思えば真顔だ。「あのね――」左手に荷物を下げ、右手で右のポケットを探り、空振りだったのか、次に身をよじって左のポケットを探る。
「何をしているんだ」小芭内は縁壱の所へ戻り、荷物を持ってやる。
「あのね、これ」縁壱は左のポケットから二十センチほどの細長い箱を出し、小芭内に差し出した。
 小芭内は数秒、その箱を見、そして縁壱の顔を見た。相変わらず真顔で感情が読み取れない。
「え、なんだ、よりち」
「く、クリスマス、プレゼント」
「えっ」
「あっ、あのね、これ、プレゼントって言ったけど、その、買ってきたんじゃないんだ、昔、俺、叔母さんにもらって、でも使った事がないし、これからも使わないから、でもいぐちー絶対使うよねって思うから。古いけど新品だし、一応、上等なやつだから、そのえっと――」
「落ち着け、よりち」言いながら、小芭内は箱を手に取った。
「寮のクリスマス会はただ飲み食いするだけだし、プレゼントなんかないじゃん」縁壱は両のポケットに手を突っ込んで、箱を開ける小芭内を見守る。「でも、俺、いぐちーにこれあげたかった。友達に使ってもらえるのが一番うれしいから。でも一人だけだったら特別っぽいし、いぐちーは照れ屋さんだからさ、みんなのいるところでこういうの、絶対しんどいと思うから、ケーキ失敗して逆によかったと思う」
 箱の中に横たわる「古いけど使われた事のない」万年筆を見つめながら、小芭内は少し泣きそうになった。
 愛情と、恥ずかしさ。
 縁壱を自分より子どもだと思っていた事を、猛烈に恥じていた。しかし、それはうれしい気持ちと相まって、丁度いい塩梅に彼の頬を温めた。
「あ、あー……」小芭内は顔を上げて縁壱を見たが、言葉は途切れてしまう。半開きの口をきゅっと閉じ、巻き込んだ唇の裏側を噛む。
「帰ろう! みんな心配するかもしれないからね」縁壱は歩き出した。あわてて箱をスリーブに収め、小芭内は後を追う。今まで言ってきたどうでもいい時の「ありがとう」を全て回収して、足にぶつかるエコバッグのリズムに合わせ、喉のあたりで「あ、り、が、と、う」と何度も繰り返した。

 寮に戻ると、やはり皆少し心配していた。しかしそんなそぶりはすぐにかき消え、食堂の一角に残りの仲間で作った「宴会スペース」へ招き入れられる。
「小芭内、どうしたァ、ほっぺたリンゴみてェだぞ、酒でも飲んだかァ」実弥が小芭内の顔を見て笑った。
「飲むわけないだろう、お前じゃあるまいし」小芭内は眉根を寄せ、実弥を軽くにらむ。
 「宴会スペース」の壁には、ちかちか光る色とりどりの電球が取り付けられている。小芭内は、縁壱にもらった黒い万年筆にイルミネーションが反射する様を想像した。そして、いつもの仲間たちにプレゼントを用意しておいてもよかったかもしれないと思った。

 

次作:パイシート

前作:さよなら銀河

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